a.k.a. Sakaki

旅行記と整備手帳と日々の声

メモ

文字を存在させている最大の力は、人間の記憶する意志(欲求)が記録へとその持続性を高める方向を求めるところに生まれる。体系化された文字表象の持つ最も大きな役割は、人間の抱く安定性への希求の中にあり、文字言語は音声言語の持つ不安定な性質を最小限の変形の中で補償するものである。この二種類の言語形式は、いずれも人間の存在を意味づけている関係性の手段であり、認識を形作る道具であることに変わりはない。人間は自らが限られた時間と空間に生きていることを認識する時、初めて、無限の時間と空間に生きる権利を獲得する。この認識は、記録する意志につながり文化を生み、歴史をつくる。文字を持たない未開部族が存在するという事実は、彼らに限られた時間と空間に生滅していることの連続的な認識が欠如していることを意味している。少なくとも彼らの時間と空間に対する意識は断片的であるに相違なく、彼らは、自らの認識の中に持続的に行為する必要を認めないのであろう。コミュニケーションと文明の関係について述べたSapir (1931) の次の言葉は、言語社会が人間の意識に対して持つ影響力の大きさを示している。

 

The history of civilization has been marked by a progressive increase in the radius of communication.  In a typically primitive society communication is reserved for the members of the tribe and at best a small number of surrounding tribes with whom relations are intermittent rather than continuous and who act as a kind of buffer between the significant psychological world […] the world of one's own tribal culture and the great unknown or unreal that lies beyond.

 

文字言語を持たない未開社会の時間と空間に対する意識は、その部族と他の部族との間のコミュニケーションがそうであるように、‘intermittent’であり、この性質が言語社会内部での文字言語の発達を妨げていると予想できる。何故なら、他を意識することは、即ち、自己を意識することであり、それはさらに、関係性の認識につながるからである。この行為が連続的であるということは、時間的、空間的流れの中で意識が働いていることであり、そこには、「現在」が過去と未来との相対的関係の中で認識されているはずである。Sapirの言葉を借用すれば、文字言語は、我々を取り巻く刹那的具象世界と持続的意識の働く抽象世界との間の‘a kind of buffer’であり、現在意識を過去と未来につなぐ記憶の橋でもある。

 

コミュニケーションにおける音声言語の文字言語に対する有利さは、これまでさまざまな角度から指摘されているが、多くは次のFries (1972: 172) の言葉に見られるような立場から論じられてきた。

 

These patterns of graphic representations are secondary.  These secondary representations used for reading contain less of the language signals than do the primary representations, that is the patterns of vocal sounds themselves.  In the graphic representations there are left out markings for such language signals as intonation (sequences of tones of various pitch), differences of stress, and pauses to mark grouping.

 

Friesの指摘を換言すれば、文字は音声に見られる直接的な表情を備えておらず、音声が文字に優れた伝達形式であるという考えはこの点においては正しいと言える。音声による伝達に必然的に伴われるイントネーションやリズム、顔や動作による補助的表現、addresserと addresseeが共有する時間的、空間的場が、文字による伝達の場合には失われる。より正確には、場面以外のこれらの要素は極めて不完全な形でしか文字に投影されない。

音声による伝達行為と文字による伝達行為を隔てているいまひとつの重要な特質は、addresser 及び addressee とその置かれた場面との関係に見られる。音声は、あくまで時間と空間に支配されるべき性質のもので、コミュニケーションの立場からはこの枠を超えることはできない。例えば、録音機の声は、聞き手にとって直接的な場を失っており、また、映画の中に見られる対話は、それ自体は場面を有しているが、第三者たる観客は本来的意味でのaddresseeにはなりえない。このように考えると、電話による対応もテレビジョンによる伝達も、全て時間と空間のいずれか一方の枠を取り去った、本来の音声伝達の不完全な鋳型でしかない。これに対して、こうした制約を受けにくい文字は、少なくとも相対的な意味において無限の時間と空間の中に存在していると言える。ただ、文字による伝達が全くこのような制限を受けないわけではなく、addresserとaddresseeのおかれた場面のズレは重要な要因としてこの関係に意味を持ってくる。

音声による伝達の場合は、話し手の意志はおかれた場面の中でMessageとして放たれ、聞き手は、Messageに組み込まれた話し手の意志を同一場面、即ち、話し手と共有する時間と空間の中で解釈する。もちろん、話し手と聞き手がそれぞれに内化している個人的・経験的意味は異なるため、完全な意志の伝達は理論上起こり得ない。しかも、意志をMessageというフィルターを通して送り合うことは、それ自体、すでに ‘distortion’の要素を含むものである。一方、文字による伝達の場合は、この ‘distortion’はさらに大きくなる可能性がある。文字による伝達では、特殊な場合を除いては、addresser と addressee が全く異なった時間と空間におかれることが前提となる。ある場面Aと場面Bの時間的・空間的距離の増大につれて、Messageの受ける‘distortion’は大きくなり、そこに含まれる情報は量的な制限を受けることになる。これは、結果的に読み手が誤解を生む可能性を増すが、同時に、間接的な意思伝達手段としての文字言語の重要性をも示唆している。

 時間と空間の支配が言語に対して持つ意味は、音声が極めて現在的な存在であるのに対して、文字は過去と未来を予測している点にある。音声は人間の記憶の世界を超越して存在することはできないが、文字は記録の世界、つまり、直接的に体験し得ない過去と未来を眼前させてくれる。文字は書きてにとっては未来との交信であり、一方、読み手にとっては、常に一定の過去との交信である。文字言語の持つこの特質が理解できて初めて、文字の背後に沈潜している書き手の「声」が伝わってくるとも言える。音声は、この意味では、文字に較べてはるかに透明度の高い意志のフィルターである。

このようなある意味で不透明とも言える文字言語の解読行為とは、一体どのような性質を持つといえるであろうか。「読み」を定義することは、取りも直さず、文字言語に対する意味付けを行うことでもある。Carroll (1964: 62) による次の定義は、この最も本質的な部分をよく明らかにしている。

 

(reading is) the activity of reconstructing a reasonable spoken message from a printed text, and making meaning responses to the reconstructed message that would parallel those that would be made to the spoken message.

 

ここで用いられている‘parallel’という言葉は、読みの行為が、無意識のうちに、文字の背後に存在する書き手の声を予想していることを意味している。つまり、音声によるdecodingであるlisteningも、文字によるdecodingであるreadingも、基本的には全く同質の行為であり、addresserの与えられた場面における意志を解釈しているのである。しかし、基本的に同質なこれらの行為も具体的な役割を与えられると前述したような大きな相違となって現れてくる。